完璧主義は身を滅ぼす
先ほど、自宅の近くの踏切で、
遮断機の警報の音と、ランプの点滅が「8:6」であることを発見しました。
「カンカンカンカンカンカンカンカン」の間に、
「ピカピカピカピカピカピカ」。
退屈なはずだった踏切の待ち時間が、ちょっぴり、楽しい時間になりました。
いくつになっても、新しい発見があることは嬉しいですね。
閑話休題
昨日、お会いした方から、
「藤田さんの人生の中で、影響を受けた出来事や、影響を受けた人は誰ですか?」
という質問をされました。
その時は、「いろいろな影響を受けてきただろうなぁ」と、ぼんやり思い返すだけでしたが、
後になって、「そういえば、」と、大切な教えをひとつ、思い出しました。
高校時代の恩師のひとり、英語のN先生からの教えです。
N先生は、コワモテで授業も厳しい先生でした。
毎回、教科書の内容を「読んで訳せ」と生徒を次々と指名するので、気が気ではありません。
授業の予習を、真剣にするようになったのも、この英語の授業が初めてだったような気がします。
当時は、どちらかというと、「こわい先生」という印象でした。
そんなN先生が、授業中に一番熱が入ったのは、ほかでもない「雑談」の時間でした。
「授業は聞かなくてもいいから、雑談だけは聞け。雑談を聞かない奴は成功しないぞ。」
と、たびたびおっしゃっていたのを思い出します。
「先生の授業を聞かないでやり過ごす方が難しいけどな、」などと思ってもいましたが、あらためて振り返ってみると、この一言は、まさに金言、だと思わずにはいられません。
N先生がしてくださった雑談の、大半は記憶の彼方へと追いやられてしまっているのですが(先生、ごめんなさい)、
ただひとつだけ、今でも強烈に憶えている言葉があります。
それが、
「完璧主義は身を滅ぼす」
という教えです。
「完璧主義は身を滅ぼす」
N先生の言葉をお借りして、かいつまんでご紹介します。
100点を求めようとするな。
70点を80点にするのは簡単だけど、90点を100点にしようとするのは相当に苦しい。
コップいっぱいに水を入れて運ぶようなものだ。
それよりも、ほどほどに水を入れて、何回か運んだ方が、よっぽどたくさんの水を運べる。
100点を取らないと満足できない奴は、いずれどこかで100点を取れなくなった時に潰れてしまう。
何事も、ほどほどにしろ。
完璧主義は身を滅ぼす。
高校1年生の時に、この教えに触れたおかげで、
各教科、まんべんなく受験勉強をして、それが志望校合格にもつながった、と感じているのですが、
それはまた、別の話。
それから時を経て、
学習者ではなく「教育者」の視点から、この教えを繰り返し、繰り返し振り返ってきました。
「完璧主義」の原因とは
そうすると、「完璧」を求める子どもの奥には、
子どもと関わる大人に、その原点があるのではないかということを、考えるようになりました。
常に、「よくできること」を求められる。
お母さんに褒められて嬉しかったのは「ペーパーに正解するとき」。叱られたのは「ペーパーができなかったから」。
そんなお話を、聞いたこともあります。
「満点をとって当たり前」で、親からテストで褒められたことはない。
少しでも間違えると厳しく叱責された。
そんな経験から、学習が手につかなくなり、勉強が苦手になった。という経験を語ってくれた知人もいます。
「最良」を求めるから人は成長する、けれど
もちろん、
「より良いもの」を求めることは、プロとしての尊敬すべき姿勢だと思います。
「神は細部に宿る」とも言います。
ですが、完璧を求めすぎた結果、上手くいかなくなってしまうのであれば、
それは本末転倒です。
過ぎたるは、なお及ばざるが如し。
小学校受験を目指すお子さまにとっても、
現時点で、「できない」を「できる」に仕上げることに、こだわらないほうが、良いこともたくさんあります。
そもそも、
「ペーパーで満点を取ること」や
「制作課題を完成させること」が、
合格の必須条件であるとも、言い切れません。
大切なのは、
「できる」「できない」よりも、日々の「取り組み方」ではないでしょうか。
日々、いかに楽しく、学びを積み重ねていくか。
それを追求していった先に、「できる」喜びや、成長を実感することが、増えていくのだと思います。
学ぶことに、ヤミツキになるような、
そんな「きっかけ」を、お届けしていけたらと思いますし、
ぜひ、親子でも楽しい学びを、楽しんでいただけたらなと、願っています。