「すぐ答えられない問題」に立ち向かえなくなる2つの原因
今日は、幼稚園での課外の授業でした。
初めて取り組む内容の中で、「わからない」ようなクイズも、たくさんあったようです。
そんな中でも、「自分なりに」「真剣に考えて」答えを見つけ出していた姿が、印象的な授業でもありました。
課題に対して、手が止まってしまうこともあります。
問題の答えが、すぐにはわからない時、
誰もが、粘り強く答えを探していくことができたら良いのですが、
実際には、わからない問題を前に、手が止まってしまうことがあります。
手が止まってしまうだけでなく、頭の中の「思考」まで止まってしまうことも、まま見受けられます。
そして、場合によっては、「わからない」と、早々にギブアップを表明する、ということもあります。
そんな現象は、むしろ入試本番が近づくにつれて、増える傾向にすらあります。
なぜでしょうか。
その原因と対策を、考えてみたいと思います。
インスタントに答えにアクセスできてしまう現代社会
現代の日本では、手軽に、スピーディーに情報にアクセスすることができます。
ちょっとでも気になることがあれば、スマホをつけて「ググれ」ば、たいていの情報は集められます。
むしろ、必要以上に情報が流れ込んでくる、とすら、言えるかもしれません。
小学校の調べ学習も、以前は図書館で本を借りてこなければわからなかったことが、今では自宅に居ながらにして完結させることができてしまう。そんな時代です。
情報化社会を批判するつもりは、毛頭もありません。それだけ、私たちの生活は、便利になりました。
そのスピード感を標準装備している大人が、子どもに対しても即座に答えを求めてしまう、というフシが、あるのではないかとも思えてきます。
そうすると、「回答までに時間がかかる」ということは、いけないこと。という認識のもと、学習を進めていくことにもなりうるでしょう。
「頑張っても無駄だった」という経験が、やる気を失わせる
物事を考えることを放棄するようになる、もう一つの理由は、
それまでの経験の中で、「じっくり考える」ことが、結果的に良い結末につながらなかった、ということを、繰り返してしまったことによる、「考えてもどうせ無駄」という感覚(学習性無力感)を持ってしまったことに起因すると考えられます。
例えば、お子さまとの家庭学習などで、このような声がけをしている場合が考えられます。
「(怒り気味で)早く答えを書きなさい!」
「やっぱり間違えたのね。時間をかけたのに解けなかったね。」
「なんでそんな問題もわからないの?」
このような会話が、実際になされていないことを、心から祈るばかりです。
少し極端な例をあげましたが、
「学習時に、お子さまにプレッシャーをかけるような声かけ」
「問題の正誤や、回答のスピードなどで○×をつける。○はまだしも、できないことに×の評価をする」
「回答に着手しないで怒り、着手したのに間違えたからと、けっきょく怒る」
といった接し方であれば、全般的に気をつけていきたいところです。
こうした対応が積み重なると、
そのうち、ペーパー嫌い、勉強嫌いとなってしまい、
「一見して難しい(つまりは初見の)問題にはめっぽう弱い」というような状態におちいってしまうかもしれないのです。
「でも、ペーパーは正解できなかったら意味ないのでは?」
「時間をかけても間違えるのだったら、時間の無駄なのでは?」
と、お思いの読者の方もいらっしゃるかもしれません。
次回改めて、その疑問をクリアにできたらと思います。