子どもと一緒に、成長する
今日は、今年はじめての、幼稚園での授業でした。
年末年始と、少し期間があいての授業だったので、ちょっぴり緊張しましたが(授業の前は、いつも緊張します。)、
目を輝かせて、お勉強やクイズに取り組んでくれる子どもたちに救われ、
素晴らしい先生がたに支えられて、
おかげさまで、とても楽しい時間を過ごすことができました。
そして、
しばらくぶりに会うお子さまの、顔つきや、たたずまいが、ガラッと変わっていることに、気づかされました。
きっと、この数週間で、たくさんのことを経験し、ひとまわりも、ふたまわりも成長したんだろうなあ、と感じました。
子どもたちは、どんどんと、成長していきます。
成長していく子どもたちと、時間を共有させていただいている立場の人間として、
成長しないままでいるわけには、いきません。
自分自身、現在が完成形ではありません。
むしろ、「今が完璧ではない」ことを、強く自覚しているくらいです。
だからこそ、「伸びしろ」で勝負をしていきたいと思いますし、
「教える」側としての視点だけではなく、「学ぶ」側としての姿勢を、空気感でお伝えしていけたら、と思っています。
「完璧主義」の話にも通じることだと思いますが、
「完璧ではない、ありのままの自分」を、肯定的に捉えるか、それとも否定的に捉えるかが、
実は、他者に与える影響を大きく左右するのではないかな、と考えています。
「完璧でないといけない」というスタンスだと、
基本的に、それは自己否定につながり、他者についても否定的な視点になってしまうでしょう。
どちらかというと、減点法の考え方です。
ですが、「完璧でなくても、ありのままで良い」と考えられれば、
自分を責める必要も無くなります。
自分を責めないわけですから、いきおい、他者を否定する必要もなくなります。
自分自身、かつては、「大人がちゃんとしていないといけない。」という風に、思っていました。
ですが、そういう考えかたをすることが、結局、教える側の自己否定になってしまい、
結果的に、教える相手を否定することにも、つながってしまうのではないかということに、思いいたりました。
それは、ちょっと違うかもな、と思いました。
子どもの可能性を認める。
子どもの価値を認める。
といったことは、
導く側の大人が、自分の価値や、可能性を認めることから始まる。
ということを、今あらためて、感じています。
だから、子どもの成長に関わる立場として、
(それは、親であっても、教師であっても、それ以外の立場であったとしても)
「子どもと一緒に、成長する」
という姿勢で、日々を過ごしていければ、いいのではないかなと思います。
それが、自分自身の小さな前進に気がつき、それを自分で認めることにもつながるでしょうし、
ひいては、子どもにとっての、小さな成長に気がつき、認めることにもつながると、思っています。
子どもたちと、小さな成長を見つけて、一歩ずつ、前進していけるような、
そんな関わりかたを、心がけていけたらと、願っています。
